日州医事平成17年3月号  診療メモ


数字にとらわれない医療

宮崎大学医学部眼科学教室 直井信久

1. 眼底出血について-------止血剤の使い方

 この拙文をお読みになっている先生方はほとんどが眼科以外の先生と思います。内科の先生と話していて話が食い違うのは、糖尿病の眼底出血に関する話題が多いように思います。出血というと患者さんはもとより、内科の先生方も「今まさにたらたら血が出ている」様子を想像され、「それ止血剤」と考えられるようですが、これは誤りです。高血圧や糖尿病にともなう網膜出血(図1)は「微小血管のバリアー機能の低下による漏出亢進」あるいは「微小血管の閉塞による出血性梗塞」ですので、血管外にでた血液は細胞外間隙に貯まるだけで「たらたら」は出血しません。
 その機序から考えて、凝固能をあげる止血薬(例えばトランサミンなど)を使うとさらに血管閉塞を助長することがありますので、やめるべきです。
 逆にそれまで「アスピリン」や「プロサイリン」などの抗凝固薬を使っていた場合、眼底出血と聞いて投与を中止する方も見受けられますが、中止する必要はありません。ただし、以前におこなわれた二重盲験で、「アスピリン」は糖尿病網膜症には投与しても良くも悪くもならなかった(有意差がでなかった)ので、EBM的には効く証拠はありません。

図1 糖尿病網膜症の出血

 

2. 抗凝固剤を投与してはいけない眼底出血もある-----加齢黄斑変性

 ところが最近は「加齢黄斑変性」といって抗凝固剤を投与してほしくない病気が急速に増加してきました。これは「網膜の下に新しい異常な血管が生えてくる」病気です。この病気は以前は米国人では大変多い疾患で、米国の法的失明(両眼視力が0.1以下)の原因の第一位となっております。この病気は日本人には大変珍しい病気でしたが、人口の老齢化、食生活の欧米化に伴って、最近急増しています。余談ですが、この病気は宮崎県に多く、私が16年前に関西から宮崎に来た際に加齢黄斑変性が多いのに驚きました。これは日光が強いせいかもしれないと思っています。
 さてこの加齢黄斑変性の新生血管は網膜下、多くは黄斑部の中心窩の直下に生えており異常な血管だけあって大変出血しやすいものです。通常は新生血管の周りに少量の出血を起こすだけですが、時に中心窩を含んだ大量な出血を起こすことがあります。
 大量に出血した場合、網膜下出血は数ヶ月したら自然に吸収されるのですが、血液に含まれる鉄分が網膜に毒性があるため、中心の視力が失われてしまいます。現在ではこのような場合には、緊急手術して網膜に穴を開け網膜下の出血を洗い流したり、眼球内にガスを入れガスの浮力を利用して血液を黄斑部から周辺部に異動させたりします。
 このような緊急手術を必要とするような出血を起こす患者さんを聞いてみますと内科からアスピリンやパナルジン等の抗凝固剤を飲んでいる方がほとんどです。10人のうち8人が抗凝固剤を飲んでいます。おそらく通常は少量で止まる網膜下出血が、抗凝固剤の影響で黄斑部の網膜下いっぱいになるまで止まらないのではないかと想像されます。
 ぜひ患者さんの目の状態も問診していただいて、このような「医原性」の視力障害を減らしたいものです。

図2 加齢黄斑変性にともなう網膜下出血

 3. 眼にも動脈瘤ができ、破裂する

 糖尿病網膜症では「微小血管瘤」ができますが、これは網膜の動脈に出来る「動脈瘤」の話です。正しい名前は「網膜細動脈瘤」といいます。これも時に破裂して網膜下出血を起こし、緊急手術を必要とします。
 この網膜細動脈瘤は基本的に「つよい高血圧のある方」に出来るものです。従ってこの病気を診た場合には血圧のコントロールに努めなければなりません。しかし20%ぐらいですが、内科に行っていただいても「少々血圧は高めであるが、治療するほどでもない。安静時には正常域に入る」と云われることがあります。眼底にこれこれの病気があって血圧は下げた方が望ましいと伝えても「血圧は正常ですから」と断られたこともあります。
 ところがこのような患者さんを手術室で手術すると血圧は優に200/110mmHgを超えてしかもカルシウムブロッカーを投与してもなかなか下がらず手術中に難渋することが多いことに気づきました。眼科医としての印象ではやはり血圧コントロールに問題があるのではないかと思っています。
 高血圧の治療に関しては「夜間高血圧」の存在など新しい動きがあるようですが、一般には安静時に血圧を測定してその数字によって治療を決めるようです。これは正しい方法なのでしょうか?
 眼科には緑内障という病気があります。以前は緑内障といえば「ああ、あの眼圧が高くなる病気」と云われていました。では今はどうなっているか、他科の先生方はおそらくご存じないのではないでしょうか。
 現在の定義では「緑内障は、視神経乳頭、視野の特徴的変化の少なくとも一つを有し、通常、眼圧を十分に下降させることにより視神経障害の改善あるいは進行を阻止しうる眼の機能的構造的異常を特徴とする疾患」となっています。 
 ここで重要なことは緑内障であることにはもともとの眼圧がいくつであっても関係ないということです。緑内障の眼圧が21mmHgとされたのはとうの昔、現在では眼圧が15mmHgであっても緑内障と診断される人はたくさんいて、しかも日本人では20mmHg以下の緑内障の方が多いことまでわかっているのです。緑内障では数字の呪縛から解き放たれてはじめて学問の進歩が大きく進んだように思われます。ここで重要なのは絶対的な数字で判断するのではなく、その人の機能や形態をみながらその人にとっての最適な目標眼圧を治療目標とすることです。
 近い将来高血圧も「全身の血管系の特徴的な変化の少なくとも一つを有し、通常、血圧を十分に下降させることにより、臓器障害の改善あるいは進行を阻止しうる循環器系の機能的、構造的異常を特徴とする疾患」と定義される日が到来し、絶対的な血圧値が余り重き持たない日が来るのではないかと考えています。その日には眼底の血管を十分観たし、その変化を読みとることが必須の技術となると思われます。この門外漢の意見にご専門の皆様からさまざまなご意見をいただくことを期待しております。

図3 高血圧の患者にみられた網膜下出血。暗赤色の網膜下出血の中に鮮紅色の網膜内出血があり、その横に黄色の動脈瘤がみえる。
図4 図3の患者の手術後の所見。網膜下出血を黄斑下手術で吸引した後、動脈瘤がみえる。