西都市西児湯医師会について
会長挨拶
| 西都市西児湯医師会のホームページにアクセスいただき、ありがとうございます。 こんにちは。会長の松本英裕です。 平成28年6月より医師会長を拝命しております。 当医師会は昭和38年8月設立、社団法人西都市・西児湯医師会より平成25年4月一般社団法人西都市西児湯医師会と法人格名称変更をいたしました。 西都市西児湯医師会は西都市と西米良村で医療を提供する医師にて構成されており、令和7年9月現在、A会員(病院や診療所の開設者等)19名、B会員25名(勤務医等)、合計44名の小規模な医師会です。 宮崎県や地元自治体の協力のもと、常に地域住民の皆様の健康を守るために医療、保健、福祉の各分野で努力しております。周辺の宮崎市郡医師会、児湯医師会にもご協力頂き感謝しております。 昨今、情報公開、情報提供が重要となってきており、当ホームページを用い、地域住民の皆様、医師会会員に最新の医師会活動の具体的情報や医療現場で得られる情報を発信させて頂きます。 皆様が当ホームページを医療情報収集のツールとしてご活用頂ければ幸いです。 |
| 西都市西児湯医師会 会長 松本 英裕 |
概要
西都市西児湯医師会は西都市と西米良村の開業医、勤務医による組織です。
西都市は宮崎県のほぼ中央、宮崎市街地より車で40分、宮崎空港から車で50分のところに位置し、2018年5月に日本遺産に任命され300基以上の古墳が集まる西都原古墳群があります。
天正遣欧少年使節の正史としてローマ法王に謁見した伊東マンショの誕生した都於郡城跡(国指定史後)があるなど、歴史ロマンあふれるまちです。優れた農畜産物を生産する地域として全国に知られています。
児湯郡西米良村は西都市よりさらに60分車で移動。山深い谷あいの村、人口は約1000人弱ではありますが、豊かな自然、美味しい食べ物、美人の湯など。
なんといっても一番の自慢は心あったたまる村の人々です。
米良の地を収めた米良菊池氏の最後の領主である菊池則忠公は土地を領民へ与え、その遺徳はいまもなお語り継がれています。
昭和38年8月1日 |
児湯医師会より分離独立 社団法人西都市・西児湯医師会設立 (西都市大字妻1430-1) |
|---|---|
昭和45年4月1日 |
西都市・西児湯医師会立 西都准看護学校開校 |
昭和50年4月1日 |
西都市・西児湯医師会立 西都准看護学校移転落成 ※現在の医師会館 (西都市大字妻1536番地) |
昭和55年12月1日 |
西都市・西児湯医師会立 西都救急病院開院 |
昭和58年3月1日 |
西都市・西児湯医師会立 西都准看護学校閉校 |
平成19年9月1日 |
西都市・西児湯医師会立 西都医師会病院名称変更 |
平成22年3月31日 |
西都医師会病院 西都市等へ引き継ぐ 運営撤退 |
平成25年4月1日 |
一般社団法人西都市西児湯医師会 法人格名称変更 |
役員等名簿
任期:令和6年6月~令和8年6月 (※50音順)
| 会長 | 松本 英裕 |
|---|---|
| 副会長 | 上野 尚美 |
| 副会長 | 大塚 康二朗 |
| 副会長 | 黒木 重晶 |
| 理事 | 上山 裕史 |
| 理事 | 片山 陽平 |
| 理事 | 杉尾 克徳 |
| 理事 | 鶴田 曜三 |
| 監事 | 相澤 潔 |
| 監事 | 岩見 晶臣 |
| 議長 | 大塚 和子 |
| 副議長 | 久保 恵是 |
| 裁定委員 | 河野 立 |
| 裁定委員 | 児玉 芳久 |
| 裁定委員 | 野口 英郎 |
アクセス
| 所在地 | 〒881-0033 宮崎県西都市大字妻1536 |
|---|---|
| 地図 |

