令和7年2月号 温故知新
新しい年が始まりましたが,最近は単純には新年を祝える余裕がなくなった気がします。積年の問題が未解決のまま新しい問題が次々に発生して常に複数は抱えています。新年でリセットとはならないようです。
先日,表題が「温故知新」と書かれたある会誌を受け取り,少年のころに教わったことを思い出しました。抱えている問題も前例(温故)に倣えば解決がしやすい場合もあります。しかし,世の中の急激な変化から必ずしも前例のすべてが該当するとは限りません。更なる問題は,認知症の始まりなのか温故が上手く生かせないことです。認知症では直近は忘れても古い事象は覚えていることが多いそうです。そこで,認知症の治療には昔の記事や写真,歌が役立つようです。年寄りが昔話を好んでするのも話題となる新知識の取得が少なく古い話に限られるからではないでしょうか。しかも,古い話は多少脚色しても厳しく糾弾されないので無難です。もっとも,年寄りの昔話や経験談は懐古であるとともに自慢話になりがちなようです。
知新といっても最近の機器,特にIT関連の操作方法などが複雑で,持っている携帯電話の豊富な機能すらも充分に使いこなすことができません。社会の発展には新知識や新機構を取り入れる必要があるのは理解できます。しかし,後世から誤ったと評価されるような結果にはなりたくないものです。人類の歴史を見れば,ダイナマイトや核など新しい技術が必ずしもよい結果とはいえない面もあります。ただし,結果の評価は個人によっても異なり難しいところです。私の経験からは,できるだけ前例を参考に慎重に対応したつもりでも「後の祭り」で反省することばかりです。苦労して得た新しい知識でも1日経てば古くなります。日々忙しく得た知識を自分のものにする間がありません。新しい知識や情報は必要ですが,過多も難儀なことです。人間の能力を補完するのにITが有効であるのは間違いありません。中でもAIの進化には驚くばかりで,思っている以上に早く人間の能力を超える日がやって来るでしょう。しかし,人間はうまくその活用ができるのでしょうか。AIがダイナマイトや核の二の舞にならないよう,AIにこそ温故知新の精神を学んでもらいたいもの です。
令和7年2月号